海外でのご供養
粉骨
なぜ粉骨にするのか。そして粉骨すれば・・・
【粉骨のみ】 10,000円(税抜)
遺骨の受け取り、お届けに要する交通費(ガソリン代等)及び郵送の場合の費用は、ご遺族様の負担でお願いいたします。
【出張訪問しての粉骨とご供養】 19,800円(税抜)
ご自宅やアパートに出向いて粉骨作業を致します。
昨今は、全く儀式なしでの火葬も多くなりましたのでせめてもと粉骨の前に宗派などにはとらわれないでの簡素ながら心を込めて読経を含めてミニセレモニーを行い、皆様で線香を上げてお手を合わせていただいてます。往復80kmくらいであれば交通費など不要です。また、お仏壇などもなくてもかまいません。我々でミニの祭壇を持参いたします。
【委託粉骨と粉骨供養】 15,000円(税抜)
粉骨を、おまかせの上、読経供養を希望される方は、10,000円の粉骨料と別途供養料5,000円を頂いております。
【なぜ粉骨をするのか】
それは亡き人の望みであった海や山へお骨を還す散骨の為、そして、今この時代の日本の世情をかんがみて、散骨するという事に当たってできる限り世間に“波風を立てないように”との一言に尽きると思います。
わが国でも時代をさかのぼれば、現在世界の様々な国や民族で今も行われている多様な、例えば岸で火葬にして遺骨もろとも川に流して死者を弔う風習のごとく火葬はもちろん土葬もあり水葬もありでひょっとしたら鳥葬もあったかもしれません。
ごく自然に遺体や亡き骸は、そのまま、野に、山に、海に、川にと、弔い送りのその時々の自由な葬送は、ごく当たり前であったわけです。
火葬してお墓に埋葬するのが圧倒的主流となった現在でも、衛生上から、火葬はやむなしとしても、遺骨の最終の収め方、収めどころは、お墓、墓地霊園一辺倒より「もっと自由、多様であってしかるべきでは」との思いの底流はもとより脈々としていたわけですが、あまりにも高くとどまる所知らずに仕組まれて来た葬儀と合わせてのお墓と墓地価格の高騰と乱開発に多くの人が困惑し疑問を痛切に感じ始め、ついに学者、文化人、先達、先駆者の人々が疑問を正すべく、“多様で自由な葬送・自然葬”を旗印として少数ながら立ち上がり、激しいバッシングを受けながらも自然葬の旗を降ろさずの不屈の運動をひるむことなく続けてくれたのです。
その結果、いいかえれば、遺骨の納め所納め方は何もお墓、墓地や納骨堂一辺倒にとらわれる必要はない。“土に埋める(=埋葬)事さえしなければ” 墓地、お墓以外での遺骨の葬送も不可としない、とされ、やっと、我々庶民にとってはとてつもなく高いお墓の縛りから解き放され、負担も少ない海や山への散骨、自然葬が可能になったのです。
でも問題は遺骨をそのままの状態で散骨し自然に環すとなると、法の規制と世情からして、お骨の大きくかたい部分などは「ハタ目」に触れれば何よりも事件性を疑われ、その方面には少なからずさまざまに負担を強いることにも成り得るし、山歩き、海遊びの自然を親しみ楽しむ人々や、海、山を生活の糧とする多くの人々には、いぶかしがられ、心やすからずの嫌悪感さえ与えることにも成ります。平たく言えば法と世情に配慮して、30数年もの長きにわたる先駆の人々のおかげでやっと可能になった、散骨という葬送のスタイルを確実にし、まだまだの、多くの人に理解し、認知していただく為に、またみんなの自然を借りての多様な葬送を進める私たちが、いぶかしく迷惑がられ、法などで規制、強制されてからでなく、自らが公序良俗に恥じることなく、節度を持って、自らを律する、その規範の大きく大切で大事な一つが、まず お骨をさらに細かく、どこでだれが目にしても,どこかで、例え誰が触れようとも、これが遺骨だとは感じられない、そんな状態にまでお骨を細かく、極小に(例えば粉のごとく)小さくする。
これを“粉骨”と言い、これが“散骨の前に粉骨をしなければならない”その理由です。さらに加えますと、今のわが国では、細かく、小さく加工された遺骨でないと、そのままでは散骨、自然葬を受け入れてくれるところはどこにもありません。
【そして粉骨すれば・・・】
大切な遺骨に手を掛けることに、何とはなしの、すまなさ、うしろめたさ、そこはかとない、割り切れなさ等感じられる方も少なくはないと思いますが、粉骨にすれば故人在りし日の思い、残されて見送る立場の人々のそれぞれの想いのまま、いくらでも多様で自由な葬送を、その方法や形をも、お寺さん、霊園、葬儀等の業者さんや他の専門のみなさんの手を借りなくとも自らで選択し、自分たちで祀り行うことが出来るようにもなるのです。
更に、私どもの勧める自然葬は私たちの存在の全くの基盤、この地球と支える宇宙の広大な、空と海と大地という天然自然を源資とさせてもらうわけですから、その取って付けられる商業ベースの様々なオプションという飾りにとらわれなければ、従来の個別埋葬墓主体の葬送に比べると圧倒的に費用負担も軽くなります。
もちろん、それぞれの人生の、親しみと安らかな存在の証であった一番大切な人との別れです。多少の負担よりも ”それより何より“ ”なるだけ“ ・・・ 尽くしたい のはやまやまなのです。誰しもできる限り、いや無理してでもなるだけしてあげたい、したい というのが真の気持ちなのではないでしょうか。
私たち仏事サポートジャパンが合祀墓、散骨、自然葬、粉骨、軽自動車による霊柩車搬送、なるだけ自宅葬、アパート葬、粉骨供養等々、およそ、仏事全般に低価格で手を拡げ、かかわり始めているのは「想いは いっぱい だれよりもある 一番ある しかしこの思い」いとしく切ない,はり裂ける胸を、形にしようとすると、したいけど出来ない。私も含めて、そんな人があって、今悲しいかな、こんな人、こんな状況がこの先進国と自負標榜されてるこの日本に,一部にとどまるどころか、広がってきて、いやこの世、この地球に蔓延して止まらないからなのです。
私たち仏事サポートジャパンは反葬儀、反墓地でも、ましては反寺院、反宗教では決してありません。むしろ思いを形に、思いのたけをできる人が多くなる、そんな 人と世の有様をこそ目指しているといっても過言ではありません。
で、粉骨すれば
① 海、山、森、野や林に、我々みたくの団体や業者に委託しての散骨はもちろん、専門家に委託せずとも、故人の望みの地、送る皆様の想いの場所に一緒に旅もした思い出いっぱいの、今はより手軽にしつらえられた遺灰とともに携えて自ら送り行く事も出来るようにもなります。それは国の内と外とを問わずになのです。
② 庭やちょっとした山林、田、畑等。要するに所有する土地や場所さえあれば、そこで大事なことは“周囲、環境に配慮して節度をもって”土に埋めるという事さえしなければ好みのところに散骨できますし、自分なりのお墓・墓碑・墓標などは自在に出来ます。
③ 庭はなくとも所有はなくとも、アパート、マンション、借家、借部屋であっても、好みの椿や季節の草花をプランターや鉢にして日々の住まい中やベランダにしつらえたり、生活の中にちりばめる事も。
④ 海や林、庭の花への散骨の一部をとっておいて、自ら手作りのペンダントのような身に着ける小物や器、オルゴールなどにも良し、あれもこれもと書き述べられない程、様々に皆様の発想、それぞれがその通りにほとんど可能になります。 日常の日々の住まいと生活、旅や娯楽くつろぎの団欒の手の中にともに一緒することが出来るのです。もちろん、一人悩む、時につらく、涙の時も です。
⑤ また、お墓のある方も、収めるのにも、ずっと小さい器で済みますので、もともと狭いお墓の中、場所も少なくて済み、以前よりあった墓を新たに建て増すなども全く必要なくなります。
まさに亡き人の偲びのなきがらに手をかけて、さらに砕くという且つて思いもつかず、考えてもみなかった“粉骨”という全く新たな手法は、「えー、そんな!」と首をかしげいぶかしい思いはしても、どちらかといえば、携わる当の私にしても、はじめの頃は進んで、喜んでする行為でないように感じていました。
が、しかし、海、山、自然に帰し戻る自然葬として、故人となきがらを弔い 送るには、今のわが国の法と世情の現況では粉骨しなければ世に反逆し、多く、長く、激しく、波風を立てる事になるのは明らかです。
ここ数年で葬儀もその形からして激しく急変してるごとく、火葬もまたエネルギーと技術の革新で、今の形がいつまでも続けられるはずはありません。私たちが受取り身近にする亡き骸の形も量も必ず変わってくると思います。
ちなみに重くて柔軟な処理対応の悩ましい今の骨壺なども、軽くて再生など柔軟に対応処理可能な素材へ変えるべきと考え、今 私共も素人の発想で取り組みつつあります。
ともあれ、自然への散骨という新しいスタイルは従来のお墓一辺倒だった私たち日本の葬送の風習に風穴をあけて、ここ数年であっという間に拡がり、もうどこからも、誰からしても、決して止めることはできなくり遺骨を丁重に葬る遺骨信仰からお墓に対する価値観が変わり自然葬への関心度も高まってきました。
このことはあまりにも高値に仕組まれた旧来の葬送への見返りであり、考え方としての多様と、その一つの自然葬という とらえ方が いかに脈々と底流し続けていたかの表れでもあります。もちろん前述のごとく先駆先達の、陰での草の根の 多くの人々の地道な運動と啓蒙の成果でもあると。その方面に力を注がれた、そして今なお注がれ続けてくださっている方々には 本当に心から頭の下がる感謝の一言です。
そして、散骨するための”粉骨“は遺骨を細かく粉骨すればいくらでも、何用にも、自由な発想で故人と送り人の想いと思われのままに、弔い方が多彩に創造できるようになります。
まさに”粉骨“はお墓や葬儀、寺や宗教仏事を含めた葬送の有り様、旧来の日本の葬送文化に一大変革をもたらすキーワードでもあります。
上から、他から仕組まれ 作られ 与えられてのやむなくもの 従いのお見送りや弔いでなく、私たち庶民、自らの発想でしかもしっかりとわが生活に軸足を置いて、自らの手で作り上げていく葬送の文化創造の道を開くキー・ワークであるとかんがえて、さまざまに取り組んでいきます。